今、ここだからこそ、
広がる可能性を持ち続けたい
有限会社ソニックラブ 代表取締役社長
宮本 敬士
Takashi Miyamoto
「デザインを始めたきっかけは、『ネペンテス』清水社長の一言。洋服業界の変遷が早かった90年代を見てきて、変わらない自分の中の価値観に気づいた。革ジャンやブーツなど10代の頃から好きなものを再構築し、さらなる魅力を紹介したいと思って。表現する最初の手段としてリメイクがあって、コレクションをやっていくうちに要望をもらうことも。じゃあオリジナルもやろうかと。どうしてもやりたかったものの一つがマンクス・レザー。バイクレース発祥の地、マン島で生まれた革職人が手がけるレザースーツでプロライダーたちにも愛されてた。手作りにこだわる職人の思いとその素晴らしい品質をもう一度伝えたくてね。服づくりでイメージしてるのは、音楽とモーターサイクル。年に数回のライブや仲間とのツーリングもいいけど、僕のなかではむしろどちらも日常です。バイクは学生時代からの愛車、僕にとって足というか馬みたいなもの(笑)。一日のなかでバイク、ギター、服、それぞれに触れる時間そのものを楽しめるのがたまらないんです」。
「自分で服を選び始めたのは小学2年くらい。昔、肥満体で(笑)。小学校の頃、制服が入らないことを理由に私服で学校に行ってたんです。だけど本当は“グレーの制服を着せたくない”ってお袋のこだわり(笑)。野球部に入っても“坊主にはするな”って言われてましたから。食べ歩きを楽しむカレーも、もとはお袋が作るカレーが始まり。音楽や野球は亡くなった親父の影響です」。何事にもスパイスを加えて楽しむことの喜びを教えてくれたのは、ほかでもない両親だ。

中学時代、足繁く通ったのはシャワー通りの洋服店。高校に入り、バイトを始めたその店に、卒業と同時に就職した。「会社がポールスミスの日本初となる路面店をオープンすることになり、店長を務めさせていただくことに。東京の展示会に行くといつもポール本人がそこにいた。目の前で服の思いを語り、“疑問があれば聞いてくれ”と言うんです。20代そこそこの僕にもね。驚いたけど、そういうことなんだって今、改めて思うんです。そうして初めて服が売れたとき、ふわ~っと何だか神秘的な感覚をおぼえた。お客様と僕、そして服がある。そのすべてが出逢い。売れて当たり前なんてことはない」。作り手として、或いはその代弁者として思いを伝え、お客様の要望に耳を傾ける。服を囲む双方向のコミュニケーションから生まれるものを楽しむというのが、新たな店のコンセプトだ。「僕らが小さい頃は洋服って単純にすごく憧れて、食事も我慢して服買ったりしてたけど、今は変わってきている部分もあると思う。だから、ある程度くだくことも必要なのかなと。僕がずっと好きなものを集めたこの店がソニックラブであり、僕自身でもある。あらゆる要素を取り入れながら、僕自身の人生の表現の仕方も変わっていくんじゃないかって。だけどこれからも、熊本を拠点にすることは変わらない。それは僕の思いであり、上の世代の人から学んだことでもあるんです」。
互いの思いをゆっくりとわかち合うことを大切にした空間。ここから、また新たな彼の世界が広がっていく。
宮本 敬士 有限会社ソニックラブ 代表取締役社長
服飾デザイナー
熊本市生まれ
1983年、Arita Limitedに入社。『Blaze』の勤務を経て、オープン時より『ポールスミス熊本店』に配属、4年間店長を務める。
1994年、有限会社ソニックラブを設立。『NEPENTHES』の服を中心に販売をする傍ら、2002年より自らデザインを手がけた自社ブランド『Sonic Lab』の展開をスタート。ドラマ『エンジン』で木村拓哉が着用し話題になったジャケットをはじめ、自身の趣味をベースにしたオリジナル性の高い商品が人気。2006年、レディースのブランド『cece』立ち上げ。2008年1月、店舗を移転オープン。服の販売に加え、コーヒーとカレーやホットドッグなどその時々のこだわりの味を楽しめる店として、新たな展開が始まる。
【宮本敬士的 人楽考】
1. 好きなモノ・コトを追求する
2. 何事にも楽しむためのスパイスを
3. 日々の出逢いや驚きが発想の源

二田口 義孝
Profile
Profile


1975年、玉名郡和水町(旧三加和町)生まれ

熊本市生まれ

熊本市生まれ、46歳。

東京都生まれ。映画監督。

台湾生まれ。 
北海道生まれ熊本育ち。












? 27歳。初の海外生活となったNY留学は、親元からの自立のはじまりでもあった。
忙しい毎日も、彼女にとっては刺激と発見の連続だ。
熊本県熊本市生まれ







